ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回のご紹介は、沖室晃平さんです。
アメリカの大学を卒業後、現地で14年間勤務。帰国後のお仕事にも注目です。
【沖室晃平さんのプロフィール】
県立高校を卒業後、アメリカのコミュニティカレッジに留学。
2年後にカリフォルニア大学デ-ビス校(略称:UCデービス)に編入。
卒業後は、人材紹介・IT企業と14年間アメリカで勤務。
2年前に日本へ帰国し、海外での雇用代行サービスのGOGLOBAL株式会社で営業統括に従事している。
- 海外の大学に行かれたきっかけとは
- 現在のお仕事を教えてください
- アメリカでの就職はビザの関係で難しいと聞きますが、実際にはいかがでしたか
- どのように最初の就職先を探したのでしょうか
- その後、次のキャリアに進まれたのですね
- どのように次のお仕事に就かれたのでしょうか
- 実際に働いてみていかがですか
- アジアのビジネスの勢いは、どのような点で感じますか
- 世界83カ国スピード感の違いがあると思いますが、企業のグローバル化を支援している中でハードルを感じることはありますか
- グローバルなマーケットを目指すときに役立つ経験とは
- 国内の大学に進学後、交換留学で行くのはいかがでしょうか
- キャリアを考える際にもいろいろな可能性がありますね。
- 沖室さんが大切にしていることを教えていただけますか
- 海外でのご経験はどのように活かされていますか
- 近い将来のご希望などどのようにお考えですか
- 恩師の小河園子先生からのメッセージ
海外の大学に行かれたきっかけとは
幼少時代から父が日本語では無い何かの言語で会話をしているのを見て育ち、憧れを持っていました。中学校から英語を勉強し、週末に父から英語を教えてもらい、幸い嫌いにならずに益々興味を持ちました。
高校は外国語学科がある学校へ進学し、英語を学んでいく中で、日本にいても英語を話せるようになるには限界があると感じ、海外への留学を決めました。
2004年にアメリカのカリフォルニア州にあるコミカレ・ディアンザカレッジに留学。
2年後にUCデービスへ編入し、言語学を学びました。
現在のお仕事を教えてください
海外での雇用代行というサービスを展開するGOGLOBAL株式会社に勤めています。
顧客が拠点を持たない国であっても自由に人材を雇用することができます。
その会社でアジアパシフィックの営業の統括をしております。
アメリカでの就職はビザの関係で難しいと聞きますが、実際にはいかがでしたか
ビザ申請は、年明けにスタートして4月1日に終了します。2007年までは景気が良かったので、応募者が多く2008年までの申請枠は超えていました。
H1Bビザというのがあり、当時は学部卒だと65,000人、大学院卒だと20,000人の別枠があります。2008年4月までは人気があり、枠オーバーのため抽選となりました。
2008年8月に入社のため2009年枠で申請をしていましたが、実は絶対にとれないと会社の人から言われていました。
幸か不幸かリーマンショックで景気が悪くなり、アメリカに残って仕事をしたい人が激減したのです。ビザ申請の数も減り、枠が余っている年に申請ができて、奇跡だと言われました。アメリカに残ることができ、途中でグリーンカード・永住権も取れました。
どのように最初の就職先を探したのでしょうか
卒業した後にどういう選択があるのか、あまり情報がありませんでした。
2008年の卒業で、1年前の2007年にボストンキャリアフォーラム(略称:ボスキャリ)へ行きました。
当時ボスキャリに参加している企業は、日本へ帰国して勤務するのが前提での採用。
1社から内定をもらいましたが、やはりアメリカに残りたいのでお断りをしました。
当時、ボスキャリ関連で調べ出したとき、日系の会社がカレッジリクルーティングを開催し、就職について話してくれました。働くには就労ビザが必要。ビザが取れるまではOPTという期間がある。これらを初めて知り、ちゃんとやらないとまずいなと動き始めました。
日系リクルーティングの会社に登録をして、そこから仕事を紹介してもらいました。
ただ、全然うまくいかなかったのです。
このままではどうなるのかと思っていたときに、パソナのリクルーターから「うちの営業職が空いているが興味はないか」と連絡がありました。
人材紹介の会社としか知らない状況でしたが、とりあえずアメリカに残りたいことを優先しよう。ビザのスポンサーもする会社でもあり、興味がありますと受けてみました。5次面接まで進み、オファーしますと言われて決まりました。
当時はカリフォルニアにいましたが、勤務地はニューヨーク。
西から東へ海岸を移りました。2008年の8月14日に勤務開始です。
その1ヶ月後にリーマンショックが起こりました。
営業職として入り、まだ右も左も分からず仕事覚えようとしていた時期です。
ニューヨークは金融の街なので閑散として、レストランもガラガラな状態。
パソナは日系の企業なので、影響が出るのは少しラグがあります。2009年には景気が悪くなり、世の中も会社の業績も影響を受けました。
自分にとってキャリアがスタートした時期ですが、今がボトムなのでこれ以上悪くなることはない。ここから上がっていくしかないだろうという始まりです。
ある意味、景気が良いときに入社して急にストンと落ちるより、底から上がるしかない時期を経験できたのは良かったと思います。
そこから営業部の中で昇進して、最終的には全米の営業統括の立場になりました。
その後、次のキャリアに進まれたのですね
パソナには11年勤務し、在籍中に結婚して子どもも産まれました。
奥さんはシアトルの出身です。4歳でアメリカに移住し、自分が育ってきたところで子育てしたいと願っていました。両親と妹夫婦がいるシアトルに2008年に移ります。西→東→西と移動ですね。
他の世界も見てみたい、新しいことをしたいとパソナを辞める決断をしました。
パソナとパートナーシップ関係にあったITの会社に2019年の4月に入社し、勤務を開始しました。
アメリカ企業のIT、刺激的な毎日。日系で働くのとはスピード感が違います。
ところが、2020年にコロナが起きます。アメリカでは最初の感染者がシアトルで出てニュースになり、会社としても先行きがどうなるか分からない状態でした。
その会社でレイオフの対象になり仕事を失いました。
どのように次のお仕事に就かれたのでしょうか
コロナ禍のまっただ中であり、そこからの再就職はとても大変でした。
面接が予定されていたはずが、最終でキャンセルになる。
やはり方針が変わったと言われることもあり、ようやくその中で最終面接に残れた会社がありました。7月の誕生日直前に最終面接があり、結果が出るのに1~2週間かかると言われていました。
その頃、LinkedInで現職の創業者(以前からの知り合い)からバーステーメッセージをいただき、今どうしているの?と聞かれて「仕事がなくて、仕事を探している」と答えました。
すると「今度アメリカで自分の会社の支店を出そうと思っている。興味ないか?」と聞かれました。
まだ最終面接の結果待ちであり、自分としてはそこに行きたい。正直に伝えると、うまくいかなかったときで良いよと返答がありました。
実際にはうまくいかず、その後2回ほどビデオ会議で詳細の話を聞きました。
事業の内容、ビジョン、今後の展開などを含め、世界的にも新しい業界であることと、企業のグローバル化に貢献できるという点に惹かれ興味を持ち入社を決めました。
入社したときはシアトルにいて、ホームベースで働いていました。
日本の事業を見てほしいと話があり、一昨年の10月、18年ぶりに日本へ移ってきました。
アメリカでの生活も長く英語で仕事ができるので、そのうち責任範囲も広くなりました。
今は、アジアパシフィックの営業のダイレクターの立場でシンガポール・韓国・オーストラリア・マレーシア・ベトナムなどその辺りのクライアントに対して、営業活動をしています。
実際に働いてみていかがですか
アメリカで仕事をしていたときは、例えば日本企業がアメリカに進出したいときのサポートなどアメリカと日本・2国間のやり取りでした。
今の会社は、世界83ヵ国に拠点があり、異文化のメンバーとの仕事は新しい発見が多く楽しい日々を過ごしています。
営業面では日系企業も含め、シンガポール、オーストラリア、マレーシア、韓国等といった海外のクライアントと仕事が出来ているので非常にやりがいがあります。
いろいろな国のビジネスに触れていると、刺激を受けますね。
特に勢いがあるのがアジア。同僚を見ていてもものすごくみんな一生懸命に働いています。
経済が伸びていくエリアが分かるのも面白いです。
自分が日本に移ってくるとは、5~6年前には思ってもいなかったのですが。
実際に戻ってから見えているものがあり、そういった経験も役立ちます。
キャリアを作っていく上で、最初はアメリカで働きたいと残りましたが、やはりどこであっても貴重な経験は得られると感じています。
今、アメリカに留学中の方、検討中の方などもいろいろな可能性があると思います。
キャリアを積んでいく上で、現地で就職する、日本に帰国してグローバルな仕事をする、アジアで仕事をしてみるなどオプションが広がりますね。
アジアのビジネスの勢いは、どのような点で感じますか
お客さんと接していて感じるのは、スピードが早いことです。
スタートアップの会社は違うかも知れませんが、日本はいわゆる歴史の長い会社は意思決定のスピードが遅い。
シンガポールの会社などは決断までのタイムフレームも早い。
アメリカも非常に早いですが、他の国と接しててもスピード感は全然違うなと感じます。
実際に経済が伸びている国、例えばインドネシアとかインドなどの事業は刺激的で楽しいですね。
世界83カ国スピード感の違いがあると思いますが、企業のグローバル化を支援している中でハードルを感じることはありますか
日本にいますし、日本人でもあり、日系企業がグローバルで活躍できるように支援ができたらとずっと思っています。
一番やっていきたいところですが、一番ハードルが高いと感じているのも事実です。
僕らのサービスはいくつかありますが、会社が立ち上がったサービスの一例を挙げてみます。
例えば、日系企業がベトナムに進出したい場合、自前で拠点を設立する方法がありますが時間もかかります。
ゼロから立ち上げるのは大変ですし、うまくいかなかったら閉めなきゃいけない。
むしろそちらの方が時間がかかります。
GOGLOBALの場合は、ベトナムにも拠点がありますので、雇いたい人を決めてもらえれば雇用を代行することができます。
つまり、最初に拠点を設けなくても、海外進出ができます。
圧倒的に安く、時間も早くて、リスクも少ない。
これをやっている日系企業は他には以外にはありません。
ただ、僕らが始める前は、日本にこのサービスは存在していませんでした。
まだまだ認知度が低いですね。
欧米では同じようなサービスの会社は多いです。
「EOR(Employer Of Record)」現地法人を設立しなくても海外進出が可能。
もちろん、拠点を設ける場合のサポートをするサービスも広げています。
企業によってさまざまなステージがあります。
海外はまったく初めて、既に何カ国かに進出して横展開を考えているケースなど、どのステージにいる会社であっても支援できるように、サービスの内容を増やしているフェーズにいます。
海外進出のトータルソリューションを包括的な形で推進するするサポートで、日本企業のグローバル化に貢献できればと考えています。
グローバルなマーケットを目指すときに役立つ経験とは
日本でスピード感があり、資金調達などもうまくいっている著名なスタートアップの会社はファウンダーの方などが学生時代も含めてキャリアのどこかで、海外を経験しているケースが多いです。
そういう会社は、海外に出ることも、海外の人材を雇うことにも抵抗がありません。
自ずとそういう人材が集まってきます。
グローバル展開を目指す会社が増えていますので、海外での留学経験があるのは圧倒的な強みですね。
まず、言葉が分かります。言葉だけではありませんが、まだまだ日本では英語を話せる人が少ない。
言葉のアドバンテージとどの分野で強みを活かしていくのかを掛け合わせると、市場価値の高い人材になれると思います。
そういう意味でも若い世代の方々には、いろいろなチャレンジをしてほしいですね。
チャンスはいくらでもあります。
日本は小さい国ですし、人口や経済もまだまだ力がありますが、外の世界を見てみると人としての視野を広げるのにとても良いと思います。
ちょうど昨日パートナーの企業の集まりに呼ばれて、日本在住26年のオーストラリア人と話をしたとき、君のバックグラウンドは?と聞かれました。
もし留学していなかったら、自分はどこにいるのだろう?と思うとまったく違う人生を歩んでいたことになります。
アメリカに行くことができて、家族のサポートがあり、それが本当に良かったと思います。
国内の大学に進学後、交換留学で行くのはいかがでしょうか
機会を活かすのはとても良いと思います。期間にもよりますが、まず大事なのは留学先での生活の仕方です。
僕が最初に行ったカリフォルニアのコミカレは、日本人の留学生が多かったです。
でも敢えて、日本人とはつるまないようにしていました。
ルームメイトが香港出身、友人がシンガポール出身で、自分が英語を使わないといけないコミュニケーションを敢えて作りました。そうじゃないと、日本にいるのとあまり変わらない。
面白くないヤツだと思われていたかもしれません。でも、日本人だけで固まるのは一切しなかった。
英語が24時間使える環境にいると、だんだんと耳が慣れてきます。
最初は話しかけられても早すぎて全く分からない、でも数ヶ月後ふと聞き取れたなと
思う瞬間があります。
英語環境にいると慣れてきます。日本人だけのコミュニティにだけいると意味がなく
なってしまうので、心がけ一つですね。
目標は何か、どんな暮らしをするか、意識するだけでだいぶ違うと思います。
現地で何を得るかはその人次第ですね。
現実的な問題として資金もかかります。僕はそういう意味でも運が良かった。
まずは、できる方法で海外を目指すのが良いと個人的に思っています。
キャリアを考える際にもいろいろな可能性がありますね。
僕を雇ってくれた上司と話して響いたことです。
こういう仕事がしたいというのもありますが、まずは仕事をしてみて自分が長けているところを見つける。
それを更に伸ばして自分の価値を出していく、おのずと仕事が楽しくなってくるので、そういう仕事の選び方をした方が良いのではないかと。
会社の名前や、ドリームジョブ(こういうことをしたい)などありますが、就くこと自体もハードルが高いです。
入社してから理想と現実は違う、こんなはずじゃなかったという経験をしている人も多いと感じています。
僕が今働いている会社は、日本でも5年半くらいのスタートアップです。
これだけ短期間でグローバルな仕事ができるような環境にいるからこそ、確かにそれは言えるかなと思いました。
超大手の会社、例えばGoogleやamazon、Microsoftなど聞こえは良いし、そういった場で働くのも素晴らしいと思います。
ただ、必ずしもそうでなくても自分の強みをしっかり出せる、かつ伸ばせるような環境で仕事ができれば、どういう仕事であっても人生楽しいのではという気がしています。
GoGlobal株式会社は、読んで字のごとく企業の海外展開を支援する会社です。
まだ日本人には知られていませんが、僕自身は楽しく仕事しています。
沖室さんが大切にしていることを教えていただけますか
仕事観・人生でもそうですが、人と人との繋がりに救われています。
誰かと繋がりがあったことによって、その何年後かに自分に戻ってきてうまく繋がっています。
仕事では、例えばアメリカで仕事をしていたときに、パソナの時代のお客様・会社でその会社が人を探していたら、適切な人材が紹介できるように一生懸命に関係作りをしていました。
そういったクライアントが10何年か経って、「困っていることがあるから、助けてくれないか」と僕を見つけて問い合わせてくれます。そこで築いた信頼関係は一生ものだと思います。
仕事がなくて困っていたときに、誕生日にメッセージをくれた上司もそうです。
何年か前に一緒に飲んだのがきっかけでLinkedInでも繋がりました。
その間何か会話することもなかったのですが、本当に困っているときに声をかけてくれて、今の仕事に巡り会いました。
人と人との繋がり、人間関係、信頼関係などに助けられていると実感しています。
今回のキャリア紹介に繋いでいただいた高校時代の恩師、小河園子先生との繋がりも同様です。
シアトルに行ったとき、日本の高校生向けにリーダーシップ研修をしている会社の方と知り合いになりました。
日本の高校生をシアトルに連れてきて、2週間ほどリーダーシッププログラムを受けてもらい将来的にはアメリカを志してもらいたい。ただ、日本の高校にアプローチするのはなかなか大変だという話を聞きました。
良い先生を知っていますよと紹介したのが小河先生です。
当時、小河先生は埼玉県でトップの県立浦和高校にいらっしゃいました。
そのプログラムに浦和高校が参加しました。
コロナ禍で渡航ができませんでしたが、オンラインでの研修が2年続けて成立。
2回ともゲストで呼ばれましたが、最近の学生さんは本当に優秀です。
自分も助けられていますので、いろいろな繋がりを作ってあげられたらと思っています。大事にしているのは、人とのつながりです。
海外でのご経験はどのように活かされていますか
学業で学んだことについては正直そこまで活かされていないかと思います。
が、アメリカに留学をしたことは非常に活きていると思います。
具体的には多文化との交流、コミュニケーションといった面です。
今の仕事で言うと、日本にいながらも社内公用語は英語で、世界各地の人とコミュニケーションを取っています。
そのときは意識していませんでしたが、異文化の中で学生時代を過ごしてきたので、価値観の違いや意見の違いがあります。
そこに対して理解を示すことから始めないとうまくいかない。
自然と自分の中で価値観の違う人がいて当たり前という考えがあります。
アジアのメンバーとコミュニケーション取るときもスムーズにいきますし、いろいろな事を解決するプロセスにおいてもアメリカにいたのは大きかったと思います。
日本は単一民族なので、基本的にみんなと同じことをしようという傾向がありますが、そのスタンスで海外とやり取りすると、なんでこの人達は分からないのだろうと思ってしまいます。
その辺はコミュニケーションする上では抵抗がないので、アメリカでの経験が活きていると思います。
83カ国の人達と仕事をしていますが、中には聞いたことない国の人もいます。
当時、学生として異文化の環境の中で生活していたのは肌で感じるものが大きいです。わりと、どの国の人ともうまく話ができるというのはありますね。
近い将来のご希望などどのようにお考えですか
プライベートでは家族を日本に呼び一緒に暮らすこと、仕事では世界中の企業に対し
グローバル化の支援をより一層行っていくことです。
また日本の若い世代にはどんどん海外にチャレンジしてほしいなと感じています。
日本を出て他の国を見てみる。
外から日本を見ることで、気づけることもあります。日本の良さも分かります。
人として大きくなれるチャンスでもあります。
世界に出たときに、人生が変わる人は多い。
世界は広い、日本国内だけで活動しているのはもったいないなと思います。
機会を見つけて、海外にも積極的に出て行ってほしいですね。
やはり日本だけだと、視野が狭くなってしまう傾向があります。
日本は英語を使わなくても生きていけますし、日本人だけでも生きていけます。
僕は海外に出て、また日本に戻ってきてアジアを見ていますが、世の中学ぶことばかりです。
チャレンジしてみたい、やってみたいと思ったことはやってみる。
そういう気持ちも大事ですね。
若いときは、いくらでもチャンスがある時期です。
いろいろなことを経験していくと視野が広がり、ますます人生が楽しくなります。
日本だけではなく世界を見てほしいと思っています。
恩師の小河園子先生からのメッセージ
沖室恒平さんは思い出深い生徒です。
とにかく英語を話したくて、高校の職員室に昼休みにやってきて、特別な許可を得て、ネイティブスピーカーの講師の先生と毎日のように練習していた熱心で真摯で謙虚な姿が忘れられません。
アメリカの大学に日本の普通の公立高校から進学するなんて、夢のまた夢だった時代ですが、わたしたち英語科教員はもとより、校長先生にも熱意が通じて応援してもらえました。
卒業後もずっと、人生の節目ごとに連絡をくださり、帰国時には短時間でも会ったり電話したり、本当に律儀な人です。
そこがまさにグローバルスタンダードの信頼を得ている理由だと思います。
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