県立高校からアメリカのカリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)を目指す。その志とは

海外大

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は、県立高校からアメリカの大学を目指しカリフォルニア大学バークレー校(通称:UCバークレー)を卒業。帰国後に起業し、マーケティングと新規事業立案の会社を経営する安田耕大さんをご紹介いたします。
中学生の頃から孫正義氏に憧れ、県立高校からアメリカのカリフォルニア大学バークレー校を目指した安田さん。その熱き志をうかがってみたいと思います。

【安田耕大さんのプロフィール】

埼玉県の県立浦和高校を卒業後、NIC→アメリカのコミュニティカレッジへ進学→カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)へ編入。
日本へ帰国後は、IT企業へ就職しマーケティングに従事。
現在は起業し、マーケティングと新規事業立案の会社「安田耕商事株式会社」の代表取締役社長

今どんな仕事をしていますか

2021年にマーケティングと新規事業立案の支援会社を開業し、コンサルティングや実働支援を行っています。

その仕事を選んだ経緯を教えてください

中学生の頃から孫正義氏に憧れ、「いつか自分の会社を持ちたい」と思っていました。
学生の頃知人と起業し、その後IT企業のマーケティング職に従事した経験から、Webやモバイル端末による行動変容の面白さ、データから見るビジネスの奥深さを知りました。

そして、この知見をいろんな人に知ってもらいぜひビジネスや生活、夢の実現に役立ててほしいと思ったため、起業しました。

実際に起業して気づいたこと、予想外だったことなどございますか

マーケティングの面白さをメインに取り上げ、デジタル化や販路拡大に取り組んでいましたが、一筋縄では解決しないビジネスの課題がたくさんあることを肌で感じ、様々な分野の知見を会得する必要を感じました。

そのため、中小企業診断士を目指したいと考えました。

この資格を目指す過程の中には学術的な観点でもっと多面的にビジネスを見られるようになるきっかけがあるのではないかと思い、今養成課程を受講する準備を進めています。

近い将来の希望は何かありますか

マーケティングのみならず幅広いビジネス領域を支援できるようになり、困ったらとりあえず安田に相談しようと思われるような人間になりたいです。

また、地域産業・地域社会の保全に大変興味があるため、地域にあるビジネスを守る・成長させることで貢献ができるよう取り組んでいきたいと考えています。

中小企業診断士の資格とそこに向かう勉強、そしてその実務を通じて、そのような人間になれたらいいなと考えています。

海外大に行こうと思ったのはどのようなきっかけですか

中学校の頃、孫正義さんの半生を描いた「志高く」を読んだことがきっかけです。

その本の後書きにあった柳井正さんの「読んで何も行動しなかったら意味ないよ」という趣旨の言葉(挑発?笑)を受け、「じゃあ孫さんと同じようにアメリカの大学に行ってから起業したる!」と決意をしました。

アメリカでの留学生活を振り返ってみていかがですか

心の底から行ってよかったなと感じています。

もちろん、行く前の想像と違うこともたくさんありましたが、「一度決めたことを曲げずに進み続け、最後叶える」ことが自分に大きな自信をつけてくれました。

今のお仕事にどのように活かされていますか

英語を話せることはもちろんですが、それよりも「自分以外の視点でもモノを見れるようになった」ことが大きいかなと思っています。

4年間異国の地で「外国人」として生活する中で、今まで自分が見てきたものが当たり前ではないんだと強く実感しました。

その結果、他人の境遇などへの想像力・共感力が高まり、より他人に優しくなれるようになった気がします。

ご両親の反応はいかがでしたか

アメリカに行きたいと言い始めた中学生の頃は「いつか気が変わるだろう」と思っていたようですが、結局私の気が変わらなかったので私が高校生の頃、覚悟を決めたようです。

やりたいことを認めてくれて、サポートしてくれた両親がいたからこその留学生活だと思っており、大変感謝しています。

日本の大学は考えましたか

考えなかったです。初めから、志したところに行きたいと思っていました。
他の選択肢を考えたり、周りの顔色をうかがって決めることはないです。

大学時代に何を勉強しましたか

コミカレ(※1)では経済学、UCバークレー(※2)では政治経済を学びました。

※1 コミカレ ⇒ コミュニティカレッジ
※2 UCバークレー ⇒ カリフォルニア大学バークレー校 
(以下、略称でコミカレ・バークレーと記載しています。)

アメリカの大学に進学して苦労したことはありますか

山ほどあります。まず最初は言語ですね。
最初はNIC(新宿)で1年間学び大変英語力が向上しましたが、現地の英語のスピードは全然違います。何じゃこりゃという感じですね。NICに行っておらず直接渡米していたらと考えるとゾッとします。

最初のコミカレでは、インターナショナル生だけのクラスに入り、そこには日本・中国・韓国の学生がいました。
中国・韓国の学生はみんな手を挙げていて、日本人は全く手を挙げません。             じゃ「俺がやろう」と手を挙げました。

そのうち中国や韓国の学生は分かってきたのか?手を挙げなくなり、僕だけが挙げ続けて、最後には「よく質問したで賞」の賞状をもらいました。
先生のオフィスアワー(授業の後)の時間にもよく質問に行きました。

あと、みんなメガネの黒髪なので同じような見た目になります。                  そこで差別化するため、帽子をかぶり続けました。わりと戦っていたと思います。

授業が順調に行き始めると、課外活動も頑張りました。自分は何者であるかを伝えないと、バークレーには入れません。

これは大学とは関係なく、中学生の頃から「良いリーダーになるには」をずっと考えていました。    ただ、自分の性格が追いついていかず、うまくいきませんでした。
何とか2年間はやり遂げたけれど、いろいろな人間関係を作っていく中で、采配するのが大変でした。

バークレーに編入してから、まず勉強は大変ですね。相対評価になってしまうので、それは苦労しました。
在学中に留学支援の会社を始め、奔走している最中も、ずっと「自分は何者なのか、何者になりたいのか」という問いを抱えていました。

同じようなルートを目指す学生さんへアドバイスをお願いします  

バークレーに編入できるか?は、また別の問題になりますがやるべきことをやりきった上で失敗した人はそんなにいない気がしています。

自分のやりたいことができなかった、という学生時代を送る人はやるべきことをやっていないケースが多いと思います。
自分が何をやりたいのか、を一言定義した上で進めばたどり着けるはず。
「目指すなら、やりきっておいでよ」と伝えたいですね。

この人すごい!と思った人の背中を追う、追い続ける。自分を突き動かす情熱を早く見つけて、やるべきことをしっかり書き出して全部やりきる。

あと、夢は言葉に出した方が良いですね。
良いことが2つあり、1つは自分で言ったからやります。
プレッシャーにはなりますが、頭の中が整理できます。あれこれ言われた内容に対して、説得しようと考えるので道筋が立てられるようになります。
2つめは、人からの助言をもらえます。具体的なアドバイスや意見をもらえたり、紹介してくれることもあります。

ご両親に相談したとき、どんなことを心配していましたか?

心配していたと思いますが、基本的に良い親だと思うのがやりたいと言ったことを強く否定できないところです。

中学校の時からアメリカに行きたいとずっと言っていたので、親にも徐々に「じゃあ、学費いくらかかるのか調べてね」とは言われました。                              高校の中盤くらいから、覚悟はできていたと思います。

両親より、学校の先生が心配しました。                             男子校なので三者面談はないのですが、僕だけ四者面談をしました。

そこで、国際教養大学を薦められました。「ここなら海外に1年間行かれる」と。          やはり心配だったのでしょうね。

それと、僕がDVCに直接行く、NICに行くと2つの選択を並べて3つの選択の中から、どれを選ぼうかなという感じでした。
その場では言わなかったですけれど、心の中で思っていたのは                 「UCバークレーが日本にあったとしても、俺は行くんだ」

英語を学びたい訳ではなく、孫正義が行ったところに行きたい。                  僕が憧れた場所に行きたい。アメリカに行きたい。

そこで、僕はDVCに直接行ったろか!と思っていたのですが、担任の先生が「ということは、今ある選択肢だとNICかな」と一言言ったときに「ああ、良いな」と思いました。

高校時代、親に勉強した姿とかもそんなに見せていなかったので、ちゃんと勉強して行けるぞというところを見せた上で行ける。
恩返しじゃなけれど、勉強した姿を見せて行くならNICかもしれないなと思いました。

その後、僕がいなくなり3人となった面談の場で母が「もうあの子は、中学から行きたいと言ってますので、好きにさせてください」と一言言って、決まったそうです。                 ある程度のことはして戻ってくると思っていたのでしょうか。

母は、「子どもには好きな選択肢で行かせてあげたい」と僕らが産まれたときから思っていたようで、説明もされました。
僕の口座に学費を貯金していて、同額を妹のためにも用意していました。              こっちには手を付けないからね、と釘はさされましたけれど。うちの母さんさすがだなと思いました。

予定していた額よりも増えてしまいましたが、結局最後まで出してもらいました。心の底から感謝しています。
その後、NICに行き「ここで勉強しなかったら人生終わるな」と思って、頑張って勉強して学年1位の成績になり、親にもその姿を見せることができました。
そのときは1年間親孝行できたと思います。コミカレからも奨学金をもらい、学費も少し安くなりました。

「海外での大学生活は、今の仕事にどのように活かされていますか」 のお答えで「自分以外の視点でもモノを見られるようになった」とありますが、具体的なエピソードはございますか

自分自身が今やっている仕事、マーケティングなどにおいて例えば、相手の視点からの立場に立ち、この人は何を見てきたのかと考えられるようになりました。

僕らの世代は、日本の幸福度が低いといった話を含め、日本に対してどんよりとした報道を聞くことが多かったです。
でも、実際に渡米したら「生きることがこんなに大変なのか」と思う機会が多くありました。

この地域は危険だからと、歩けない場所もあります。
例えば、当時のセブンイレブンは日本のものより綺麗ではなく、店舗周辺の治安もあまり良くないと言われています。

銃撃が起きたから近寄らないで、と言われたこともありました。
ところ構わずホームレスが住んでいる所もあります。
自習室にいるのに、マリファナの臭いがすることもあり、「当たり前のことが当たり前じゃない」ということをアメリカで学びました。

これを日本から見たらどういう視点になるだろうか。

日本は、幸福度が低いと言われていますが、ある程度スタンダードが整った上で次の幸せを求めている。 今まで当たり前であることを幸せには思っていないのではないか、と気づいたのです。

日本には、居酒屋でも安くて美味しいお店がたくさんあります。                  終電まで飲んで帰っても大丈夫な安心感があります。

例えば、外国人は東京の交通網は全然分かりません。                       どこで何をすれば良いか分からない、というのが一緒にいると分かるようになります。

同様に、例えば地方から来た方に話すときも、同じ日本人として言葉は通じるけれど、山手線のことは分かりません。                                        僕は小2で山手線全駅を覚えましたが、その前提知識がない人は、何を考えてどうやって見て行動するのか考えていくと人間の行動の心理が分かってきて、他人の視点でモノが見られるようになってきます。

「他人の境遇などへの想像力・共感力が高まりより他人に優しくなれるようになった気がします」それはどんなときに感じたのでしょうか

なぜ優しくなれているかというと、前提条件が違うと思っているからです。

例えば、友人関係や恋愛関係で何かあったとき「普通はこうだよね」と言われます。         解釈の例としては「普通こういうとき、返信してくれるよね」などですね。

でも、その「普通」は誰が定義したものなのか。そういうふうに教えられたのは、自分のどの背景からきているものなのか。
僕が今している行動や他人がしている行動は、前提条件そのものが合っていないから、それが「おかしい」というのは違うと感じています。

前提条件が異なるので、その人にとっての前提条件は何なのか?を自分は聞いてみます。       受け取っちゃった方が良い。

その上で、その人の前提条件の中で、どういう言葉をかけたら動いてくれるのか、それをいかに分かりやすく伝えるかを考えています。

以上でインタビューは終了です。最後までご覧いただきありがとうございます。
こちらの内容は、中高生のお子さんがいらっしゃる方にも、かなり参考になるのではないでしょうか?

安田社長に「少し宣伝してくださいね!」とリクエストしてみました。

「安田耕商事では、ECサイト等のWebマーケティング、新規事業開発の支援を行っています。     コンサルテーションのみならず実稼働も含めた支援もできますので、何か困ったことがありましたらお気軽にご連絡ください。

また、川越やその周辺の事業者さんをマーケティング・販売からご支援しようと川越ウィングという企画をやっています。もし、Webで販売してほしいもの等ございましたらお気軽にお申し付けください。

安田耕商事株式会社へのご連絡先はこちらになります。

恩師の先生からもメッセージをいただきました。

恩師の小河園子先生からのメッセージ~安田耕大さんの後ろ姿~

安田さんから学べることは「何それ?」と言われてもめげずに、根気強く取り組むことです。
なぜならば、「何それ?」が15年スパンくらいで「皆がほしがるもの」に化けることもあるからです。

わたしは安田さんの母校である県立浦和高校で国際交流の責任者でした。
ハーバードから来日する学生との交流参加者募集のチラシを作っても、「何それ?」という反応をする学生が多い中で、『僕、それに参加したいです』と単身名乗り出てくれたことがありました。

また、安田さんは生徒会長として、文化祭での「ユーグレナ入りのクッキー」の販売などを提案しました。
「何それ?」という声が多い中、説明を繰り返していた姿を思い出します。

安田さんが進路希望にカリフォルニア州立大学と書いた時も同じです。
「何それ?」の反応に苦笑いしながら、複数の選択肢から選ぶという『進路面談』のフェアウェイに話を乗せて、まずはNICで勉強する姿を両親に見せようと割り切ったところが安田さんの“すごさ”です。

コメント